西南戦争の戦場

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熊本城 燃える

 「城今焼ける最中 何故か分からぬ 薩兵体調別府 総督篠原 中軍西郷 後軍桐野 篠原は日奈久におる 既に兵端開く勢いある 県庁 今 御船というところへ移りた」(大意)

 明治10年2月19日午後12時20分熊本局発信の111文字の電文は熊本鎮台のおののきぶりを伝えている。
 薩軍は目と鼻の先の川尻(熊本市)まで迫っている。そのスクランブル緊急事態のさなかに城が燃えている。しかも原因不明。戦火ではない。

 ご存知のとおり熊本城は日本三名城のひとつ。加藤清正が慶長6年(1601)に着工、慶長12年に完成した。面積80ヘクタールに及ぶ壮大な構えで清正は城を実戦の城として心血を注いで完成した。明治維新後は場内に九州唯一の鎮台が置かれ、国内の内乱鎮定の兵がいた。

 熊本城の歴史に秘めるナゾは多いが、その中でも西南の役の際の天守閣炎上は今もナゾに包まれている。



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