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御船町

小川方面の戦い

3月26日、官軍の黒田清隆参軍は、到着した別働旅団を配置して小川方面の薩軍を攻撃し、激戦の末、撃退して小川を占領した。

この時の、薩軍の猛将永山弥一郎が薩軍を激励した名文句が残っている。

「諸君何ぞ斯(かく)の如く怯なる、若し敵をして此地を奪はしめんか、熊本城外の我守兵を如何にせん、大事之に因て去らんのみ、生きて善士と称し、死して忠臣と称せらるゝは唯此時にあり、各死力を尽し刀折れ矢竭(つ)き而して後已(やまん)」(『薩南血涙史』)



松橋・ 宇土・堅志田・緑川の戦い

3月30日、31日と、黒田清隆参軍率いる官軍旅団は各地で薩軍を攻撃しながら進軍した。薩軍はこれに耐えきれず川尻に後退し、官軍は松橋を占領した。

4月1日、官軍は宇土を占領。また、甲佐に退却した薩軍を追撃して堅志田を占領した。

3日、早朝の霧に乗じた薩軍の急襲を、官軍は5時間にわたる激闘の末、これを退ける。

さらに、追撃して緑川を越え、薩軍の側背を衝き、そのまま進んで甲佐を占領した。薩軍は悉く御船に退却した。

官軍は、新たに上陸する増援部隊を得ながら、7日には、緑川左岸の薩軍を押し返す。また一方、木原山急襲の薩軍を挟撃して川尻に敗走させた。



御船の戦い~薩軍猛将・永山弥一郎の最期

黒田清隆参軍の指揮のもと、4月12日、官軍は一斉に攻撃を開始。宮地を発して緑川を強行渡河。緑川は死体で埋まり、血で染まったと言われる。

緑川を渡った官軍は、薩軍を攻撃。御船川に追い詰められた薩軍は、銃火を浴びて壊滅状態になった。薩軍は敗戦続きに気勢揚がらず、民家に放火して退却した。

この時、負傷を推して二本木本営から人力車で駆けつけた永山弥一郎は、敗走する薩軍兵士を叱咤激励していたが、挽回不能と見て、民家を買い取り、火を放ち、従容として切腹した。また、荷駄掛の税所在一郎も、彼に従って自刃した。

永山が民家を買い取った額は100円。当時立派な家が新築できる価格であった。
彼の人柄と壮烈な最期は、御船町郷土史の1ページを飾っている。

かくして御船は官軍に占領された。

4月12日、一旦は薩軍に進撃を阻まれた官軍だったが、翌13日、ついに緑川を渡り、薩軍と激戦しながら川尻に進み、守る薩軍を攻撃して退け、とうとう川尻を占領した。