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官軍、稲荷山を占領、高瀬の激戦を制す

2月26日午前10時頃、薩軍の桐野利秋率いる山鹿方面隊は迂回して、石貫にある官軍背後の連絡線を攻撃。官軍側は、増援を送るとともに、稲荷山の確保を命じた。

稲荷山を占領した官軍は、何度も奪取を試みる薩軍を銃撃して退けた。次いで、南下してきた官軍の兵が、右側面を衝いたので、さすがの猛将・桐野利秋率いる薩軍も堪らず、江田方面に退却。

稲荷山は低丘陵であるが、この地域の要衝であり、ここをめぐる争奪戦は、西南戦争の天目山とも言われている。


援軍を得た官軍は、反撃に出る。薩軍も、敵前渡河を強行するなどして、高瀬の奪回を試みたが官軍の増援に押され、日没もせまり、大浜方面へ退却した。疲労した官軍には、追撃する余裕もなかった。

この方面の戦闘は激戦で、戦死した薩軍諸将の中には、西郷小兵衛(西郷隆盛の実弟)がいた。薩軍一番大隊一番小隊長として自ら陣頭指揮をとり、弾丸に胸を貫かれて壮絶な最期をとげた。

兄・西郷隆盛は、熊本市に運ばれてきた小兵衛の遺体を見て、瞬きをしただけで終始無言であった。