薩軍、八代を急襲
4月4日、薩軍は、人吉から球磨川に沿い、あるいは舟で下って八代南郊に出た。
まず坂本村の官軍を攻撃して敗走させたのを皮切りとして、5、6日と勝利を収め、八代に迫った。しかし、7、8日の官軍の反撃によって八代に至ることができず、再び坂本付近まで押し戻された。
4月11日、再び薩軍は八代を攻撃。疲労もあって官軍が一時敗退したが、13日に官軍に援軍が投入され、薩軍・官軍ともに引かず、4月17日までこの状態が続いた。
17日、薩軍の右翼をつく官軍の作戦が成功して、薩軍は敗走した。この間の萩原堤での戦いのとき薩軍・協同隊の宮崎八郎が戦死、別府晋介が足に重傷を負った。