人吉攻防戦~官軍、人吉へ迫る
5月3日~7日までの宮藤の戦い、5月10日~14日までの平瀬の戦い、5月21日の横野方面の戦いでは、官軍が薩軍を襲撃し、敗走させた。
一方、尾八重を守っていた薩軍は岩野村を守備し、5月22日、前面の官軍を襲撃し敗走させた。さらに追撃しようとしたが弾薬が不足していたので、米良の西八重に退却した。
官軍は、7つの街道から球磨盆地に攻め入る作戦をたて、5月1日~9日までこの作戦を遂行した。
まず前衛隊は球磨川北岸沿いを通る球磨川道、南岸沿いを通る佐敷道から攻めた。しかし街道は、大部隊が通るには困難な地形であり、官軍は各地で薩軍に敗退した。
しかし薩軍も、人員・物資の不足により、次第に勢いがなくなった。官軍はそこを突いて5月12日、球磨盆地の北部にある五家荘道などの5つの街道から南下し始めた。
薩軍の球磨川北部の守りが薄かったので、官軍は12日~25日までの13日間に、五木荘道の頭治・竹の原、球磨川道の神瀬、種山道、仰烏帽子岳など多くの要地を陥落させた。