薩軍の小倉電撃作戦、失敗におわる
一方、総攻撃をしかけた熊本城の守りは堅く、簡単には攻め落とせそうもない。夜の軍議で、薩軍がもめているうちに、官軍の第一・二旅団は本格的に南下を開始する。
この軍議では、一旦は篠原らの熊本城強襲を続行することに決定した。しかし、遅れて到着した西郷小兵衛(西郷隆盛の弟)や野村忍介が、強く反対。再軍議は深夜に開かれ、熊本城を強襲しながら、一部は小倉を電撃することになった。
翌日23日に、薩軍・池上四郎が村田、深見らの小隊を率いて小倉へ向けて出発。が、途中で激しい銃撃戦の音を聞いて、池上は田原へ進み、村田三介の小隊だけが小倉方面へ向かった。しかし、この村田の小隊は、植木で官軍と遭遇し、小倉電撃作戦は失敗に終わる。