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縁ある人の招魂祭参加を 西南戦争の従軍記解読 旧藩士が記した「明治10年延岡事情」
縁ある人の招魂祭参加を 西南戦争の従軍記解読 旧藩士が記した「明治10年延岡事情」
延岡市山下町の古書店経営佐藤暢勇(のぶお)さん(62)が、西南戦争(1877年)で戦った旧延岡藩士による従軍記「明治10年延岡事情」を解読、1年かけて冊子にまとめた。
「佐川官兵衛ウォークin南阿蘇2007」8月5日(日)開催のお知らせ
鬼官兵衛と南郷有志隊の足跡をたどる旅
8月5日(日)「佐川官兵衛ウォークin南阿蘇2007」
■佐川官兵衛とは
”鬼官兵衛”と恐れられつつも人情に厚く、多くの会津藩士から信頼されていた旧会津藩家老・佐川官兵衛。西南戦争に際し、官軍側で参戦。阿蘇郡南郷谷で有志を募り結成した「南郷有志隊」とともに、西郷軍(薩軍)に挑みましたが、明治10年南阿蘇村長陽黒川で無念の戦死を遂げました。
西南戦争出征の琴似屯田兵 子孫らゆかりの地へ 10月に
(北海道新聞より引用)札幌市西区の琴似屯田子孫会は、琴似屯田兵が出征した西南戦争(一八七七年)から百三十周年を記念して、十月十六日から三泊四日で子孫会企画の研修旅行「西南戦争ゆかりの地巡り」を行う。西南戦争で屯田兵は自らの存在をかけて奮戦、多数の戦死、戦病死者を出しただけに、子孫会は「祖先の苦難の道のりをしのび、琴似のまちづくりをあらためて誓う旅になる」と話す。
西南戦争 薩軍ルート踏破隊が西郷洞窟前にゴール
西南の役で西郷隆盛ら薩軍が宮崎から鹿児島まで敗走したルートの踏破に挑戦していた鹿児島市鴨池新町の会社員内山憲一さん(53)が1日、同市城山町の西郷洞窟(どうくつ)前にゴールした。(373news.comより引用)
小島行在所…西郷さんも訪れた!?
こんな場所もあったんですね。熊本にいながら、知りませんでした(恥!)
(くまにち.コムより引用)
熊本市小島下町の市指定文化財「明治天皇小島行在所」。明治維新から間もない一八七二(明治五)年、西国巡幸の天皇が宿泊し、西郷隆盛も随行して訪れたという歴史を持つ。しかし、市中心部から離れた場所にあることなどから見学者はごく少ない。地元の保存会は「今年は西南戦争百三十年で、明治を振り返る節目の年。小島の文化財にも注目してほしい」と呼び掛けている。
官軍墓地で慰霊祭 西南戦争終結130年 地元住民が30年ぶり 曽於市大隅町
今年は、西南戦争から130年にあたります。大事な歴史が忘れ去られることがないように・・・。
(西日本新聞より引用)
西南戦争の終結130周年を記念し、曽於市大隅町の官軍墓地で24日、慰霊祭が行われた。地元の「大隅町あつみ会」(沢俊文会長)が企画。小雨の中、約30人が戦没者の冥福を祈った。
官軍墓地には、西南戦争で、大隅地域で戦った政府軍(官軍)の戦没者74人が葬られている。出身地は山形や秋田、福岡、熊本など各地。県内で唯一現存する官軍墓地だ。
同会は、山形県温海(あつみ)町(現鶴岡市)との相互交流を通じて、同町の住民たちが戊辰戦争で戦死した薩軍を慰霊していることを知り、官軍墓地での慰霊祭を計画。同会が、荒れ果てていた官軍墓地を改修した1977年以来の慰霊祭となった。
沢会長は「怨念(おんねん)を超えた友好の場として、県唯一の官軍墓地をアピールし、今後は年1回の慰霊祭を行いたい」と話していた。
熊本城本丸御殿障壁画復元張り付け
いよいよ、西南戦争で焼け落ちた本丸御殿の修復が山場を迎える熊本城。築城400年を記念して、ずいぶんまえから進められてきた熊本城復元工事のクライマックスです。いま熊本では、築城400年祭が繰り広げられています。熊本に旅行を計画されるときは、ぜひスケジュールを確認することをおすすめします。
(西日本新聞より引用)
築城400年を迎えた熊本城(熊本市)で現在復元作業が進められている本丸御殿大広間「昭君(しょうくん)の間」の障壁画張り付け作業が5日、始まった。
部屋を豪華絢爛(けんらん)に飾った障壁画は狩野派の絵師の手による。金箔(きんぱく)の下地に中国の絶世の美女、王昭君などを描いた。本丸御殿は天守閣などとともに西南戦争(1877年)で焼けた。障壁画は焼失前の江戸末期に描かれたスケッチ画や同時代の建造物を参考に復元。
作業には京都から職人が来て、梅や菊などの花々が描かれた90センチ四方の和紙の障壁画を板にのりで張り付けた。板は今後、天井に60枚がはめ込まれる。
=2007/10/06付 西日本新聞朝刊=
西南戦争の証し感無量 市役所市長室テーブルの弾丸跡
西南戦争の弾丸が打ち込まれたクスのテーブル、見てみたいですね。市役所で使われているなら、しっかり保存していただきたいものです。実際に使われている、というのがいいですね!
(南日本新聞より引用)
鹿児島市城山の大クスで作られた市役所市長室の応接テーブルには、1877(明治10)年の西南戦争で撃ちこまれたとみられる弾丸が残っている。一般にあまり知られていない“生きた証”を一目見たいと26日、鹿児島史談会の池田純副会長(59)ら会員4人が市役所を訪れた。
西郷と「福岡の変」つながり裏付ける新史料発見
歴史の真実を知ることは、現代に生きる私たちとその未来にとって、とても大きな意味を持ちます。史料の発見は、非常に貴重なことだと思います。
(読売新聞より引用)
1877年(明治10年)の西南戦争に呼応して福岡の変を起こした旧福岡藩士族と、その源流で幕末に弾圧を受けた筑前勤王党に関する新たな史料が子孫宅で見つかり、福岡市博物館(早良区百道浜)に寄贈された。
西郷隆盛直筆の書も含まれ、幕末・維新期の西郷と筑前勤王党のつながりを裏付ける新史料として注目される。
今年は西南戦争、福岡の変、西郷没後130周年に当たり、同博物館は11月8日から開く新収蔵品展で一部を公開する。
医聖・宗巴が劇に 西南戦争で人道活動
歴史の一偉業がこのような形で後世に伝えられていくことは、とても喜ばしいことです。
(くまにち.comより引用)
県内の七十五歳以上の高齢者らでつくる新老人の会熊本支部(伊佐二久代表世話人)は今年五月、熊本市の熊本市民会館で、西南戦争で敵味方の区別無く負傷者の治療にあたった医師鳩野宗巴(はとの・そうは)を題材にした舞台劇「医聖宗巴は立ち上がる」を上演する。出演者はほとんど素人だが「宗巴の博愛精神を多くの人に伝えたい」と張り切っている。